ゲーム開発者が偉ぶるブログ

ゲーム開発のビジネスやマネジメントについて日々思うことをあれこれ偉ぶって書き綴ったもの。

適材適所について

適材適所というのを痛感する時がある。

例えば、前のプロジェクトでは「頼りない」という印象だった人が、新しいプロジェクトで担当箇所が変わり水を得た魚のようになり力を発揮して活躍することがある。

ゲームを開発していて感じるのは、人間には色々な資質や素養があるということだ。

・集団をまとめ説得し導いていく‥指導者に向いている人
・ゲーム内容やチームに対して客観視して全体を俯瞰して調整したり提案ができる人
・問題を発見し関係者を集めて話合わせて解決を図ることができる人
・上層や周囲からの理不尽な要求に対して柔軟に対応できる人
・誰もが嫌がる地味で膨大な作業をコツコツと遂行できる人
・全く挑戦したことの無いことに対して試行錯誤し道を拓くことができる人
・初めて触るツールや開発機能の吸収や対応がスムーズな人
・必要な検証や実験を自ら行い結果を提示できる人

こういった様々な人がいる。

そしてもちろん、ディレクターや各セクションのリードは、自分のチームやセクションにそういった素養のある人が力を発揮してプロジェクトがよりスムーズにいくよう考えるだろうし、残念ながら人材が不足していて各スタッフに不得意なポジションで頑張ってもらわざるを得ない状況で苦悩していたりもするだろう。

その中で特に顕著なのは、研究者気質の人だと思う。

得てして、研究者気質の人は理不尽で日々の変化の激しい開発環境下において、力が発揮できない・研究の必要性が理解されない・適材適所とならない・評価されない・使えないと評価される‥という状況に陥るように思う。

身近で分かりやすい例えだと「CEDECで頻繁に登壇している人が実際に開発現場で活躍しているのか?」といった話がある。だが登壇することと現場での活躍は別の話であり、現場で活躍できているのかどうかは所属企業や現場環境やプロジェクトの状況等様々な要因が絡んだ上で適材適所となっているかによるように思う。
そのマッチングができていれば非常に素敵なことだし、残念ながらうまく活躍できていない状況であるという場合も当然あり得る訳で。CEDECという場では登壇することで自らの考えやナレッジの発信ができ、それによる世間からの評価も得られ、仲間やより良い環境の発見に繋がる。
私は、経営者やチームの運営者になるのではないなら、何かしら才能のある人は適材適所となる環境へどんどん移れば良いと思う。

もう1つの例は、プロデューサーがイベントや各メディアの誌面やウェブ上で、いかに魅力的なゲームか・苦悩と努力を経て生まれたか‥といったことが語られているが、現場からしてみると「お前なんもやってないだろう」「現場の何を知ってるんだ」となりがちだ。が、そう思う人間はプロデューサーに求められる役割りというものを全く理解していないとも言える。現場の1スタッフが、どんなにひどい開発状況・ゲーム内容であったとしてもポジティブに朗らかに語ることができるだろうか?メディアからの様々な質問に対して、プロモーション戦略の上でこの時期に言って良いこと言ってはならないことを前提にその場でポジティブに即答できなければならない。それが自分に可能なのか?っていうことだ。

名の知れた人がチームに加わって「期待したけどあの人は全然だめ」みたいな話をちょくちょく耳にするが、話半分で聞くことにしている。それはただ単に適材適所とならなかったのかも知れないなと漠然と受け取るしかできないし、一緒に働いてみないと評価はできないし、そういう話を鵜呑みにする人間にはなりたくない。