コストとクオリティについて
こちらのTogetterを読んで。
クリエイターなので、時間があればそれだけクオリティを上げたいと思うのは当然だと思う。
頑張るほどにクオリティが上がるだろうし、本来は褒められるべきところだろう。
しかし、及第点以上にクオリティを上げることはビジネスにおいては非生産的だったり、会社を窮地に陥らせる場合もある。
という訳でクオリティを上げることでの影響を考えてみる。
まず、開発は無限に続けられる訳ではなく、お金が有限なら時間も有限だ。
企業にとってお金を稼ぐのが第一の目的なので、投資も必要だろうが基本的には開発はコストパフォーマンス良くありたいだろう。
そしてクオリティは時間をかけるだけ上がるので時間と対立する。
どこにクオリティラインを設けるべきか考えると、「お客様」‥購入してくれるユーザーとクライアントが満足するラインになる。クリエイター自身ではない。
ここでクオリティを期待以上に上げてクライアントが大変満足した場合、企業の価値は上がり次の仕事に繋がるだろう。
ただしそれは当然「前回のクオリティ」を期待されることを意味する。
こうしてクオリティライン自体が上がることになる。
この時、残業時間をかけることでクオリティアップしてきた場合は現場はどんどん苦しくなる。
一つのプロジェクトが大きくクオリティアップした場合、他のプロジェクトにも影響が及ぶ。
なのでクリエイターが頑張るべきなのは「いかにコストを下げるか」であるべきで、加えて言えば「いかに時間をかけずに見栄えを良くするか」と言える。
一方でクリエイター自身が今出せる力の限界を知る意味では可能な限りのクオリティアップを図ってみること自体は大切だとも思う。
特に若い間にある程度の無茶を経験するのはその後の大きな糧にもなる。
しかしある程度経験を積んできたら、社会人として短距離走ではなく長距離走として考えていく必要もあるだろう。何せモチベーションを保ちながら60歳まで働いていかないといけないのだ。
ゲーム開発は今後、60歳まで働く人が出始めて、企業はそれが可能な環境を維持していかないといけない。
さて、クオリティラインの設定基準の一つがユーザーと書いたが、ユーザーはクオリティラインを決めてくれる訳ではないので作り手が判断する必要がある。そして細かすぎるこだわりは伝わらない。
もう一つのクライアントに関しては、比較的予算がしっかり設けられる都合上、必要以上にクオリティを求められるケースは少ないのではと思う。
ではクライアントがいない場合。つまりパブリッシャー自身が開発している場合。クオリティラインが定まらずに炎上するケースというのはまさにここに多いのだろうと推測する。
現場に求められているのは第一に完成させること。これはしかし必須条件なので完成しないというのは問題外。
次に完成品自体の品質が来るだろう。ただしクオリティというのは高い低いの一次元みたいなシンプルなものじゃなく、幅や奥行きなどの複雑な要素がある訳で。幅を狭めて高さを保つとか色んな方法がある。
どういうところに注力するのがより効果的かを考えながら、疲弊せずパフォーマンスを発揮できるやり方を模索していかないといけない。